ブログを書くなら、もう少しちゃんとした名前の方がいい気もします。
実名でもいいし、それっぽい肩書きをつけてもいいし、もっと意識高そうな名前だって選べたはずです。
それなのに、このブログではずっと「ゆとりくん」という名前を使っています。
自分でも思います。まあまあ、ゆるいなと。
「ゆとり」という言葉は、半分くらい自虐
正直に言うと、「ゆとり」という言葉を最初から好きだったわけではありません。
いわゆる「ゆとり世代」ど真ん中です。言われなくても分かっています。ネットではだいたい、褒め言葉では使われません。
自分でも、「まあ、そう言われても仕方ないところもあるかもな」と思う部分はあります。
だから、この名前は半分くらい自虐です。
ハンドルの「遊び」を思い出す
ただ、大人になってから、この「ゆとり」という言葉を少し違う意味で考えるようになりました。
きっかけのひとつは、子どもの頃に親に言われた、何気ない一言です。
「車も、ハンドルに遊びがないと運転しづらいんだぞ」
当時は正直、「ふーん」くらいにしか思っていませんでした。
でも続けて、「人も同じで、遊びがないと、うまくいかなくなる」と言われたのを、なぜか今でも覚えています。
間がないと、人はどこか間抜けになる
大人になってから、その意味が少し分かってきました。
余白がないと、何をしていても気持ちが張り詰める。効率とか正解とか最短距離ばかりを気にしていると、だんだん息が詰まってきます。
間がないと、人ってどこか間抜けになる気がします。
言葉遊びみたいですが、「間」がないと「間抜け」になる、そんな感覚です。
ゆとりは「怠け」じゃなくて「豊かさ」
だから今は、ゆとり=怠けること、とはあまり思っていません。
自分にとってのゆとりは、あそびとか、間とか、余白に近いものです。
誰かを思いやれる余白。自分らしさを描ける遊び。
何かを足していく前に、ちゃんと残しておくスペース、みたいなものだと思っています。
このブログは、途中経過の記録
ゆとりある人生を目指しています。
それは、何もしない人生とか、楽をする人生という意味ではありません。
むしろ、ちゃんと考えるための余白を持つこと。ちゃんと選ぶための間を残すこと。そういう姿勢のことだと思っています。
「ゆとりくん」という名前は、キャラクターでも、主張でもありません。こうありたい、という完成形でもないです。
ただ、「今はこのくらいの余白を大事にしていたい」という状態の名前みたいなものです。
このブログでは、働き方のことを書いたり、迷っている話を書いたり、夫婦のことや、家のことを書いたりします。
家庭菜園の話や、BGMを作っている話や、友達とBBQした日のどうでもいい話も出てくると思います。
まとまった答えは、あまり出てこないかもしれません。
それでも、間を残しながら考えていくことはできそうです。
少し立ち止まりながら、ときどき遠回りしながら、そんなペースで書いていこうと思っています。
とりあえず、このブログは「ゆとりくん」という名前で続けていきます。
ここから、始めます。

Fラン私立文系
元アパレル店員
ITエンジニア転職5年目
現在はフリーランス
ほぼリモート勤務
30代既婚男性
属性ADHD
未経験からでも
ITエンジニアなれた
実際の体験をもとに
その道のりを紹介します